プライベートとオープンと

インターネットとケータイがあれば、いつでも誰かとの「ツナガリ」を感じることが出来る。それは、メール、メッセンジャーskype掲示板、ブログなど多くの手段があるからで、これで特定・不特定の誰かとコミュニケーションをとれるから。

各人がこれらの方法を意識的、無意識的に使い分けているが、おそらくケータイほど、自分のプライベートに近いツールは、人類史上無いのではないかと思う。

「パソコンのメールアドレスを教えることにあまり抵抗は無いけど、ケータイのメアドは抵抗がある。ましてや、ケータイ番号は絶対に教えたくない」
とかはよく聞く話で、ここから見えてくるのは、自らに近い存在、分身と言っても良いくらいの存在がケータイというものだということだ。

ケータイ番号はなかなか変えられないけど、メアドならそれよりは簡単に変えられるという事実が、メアドは良いけど番号はだめという理由なのかもしれない。いずれにしても、パソコンでのメールやインスタントメッセンジャーなどのコミュニケーションツールに比べて、ケータイがよりプライベートな存在なのは僕自身が今のところ感じている結論だ。

この「プライベート」なケータイの中でも更にプライベートなモノがケータイ番号。そのケータイ番号を切り替えるというDoCoMoの2in1というサービスは、消費者自身が気づかない欲求を見事についたサービスなのかもしれない。mixiならプライベートな自分を日記で表現できるが、ブログになるとちょっと...というのと同じ感覚。2in1なら完全プライベートケータイが出来上がる。

他者との「ツナガリ」を欲している人が、「プライベート」をも求める。プライベートはパブリックでないとのことだから、オープンにしていないことだ。ネットの世界で「仲間内だけの場」というのは、検索されない場所ということになる。現在、あなたのケータイの電話帳やメールフォルダはネットから検索できない。だから、ここは今はプライベートだ。だからといって、将来までそうだとは限らない。

プライベートであるはずのケータイの中に、どんどんネットの論理であるオープンが入ってくる。その先に何があるのか。googleGmailでやったように、無料ケータイメールに内容に即した広告を自動配信するサービス。KDDIGmailの提携はこれとは異なるが、ケータイとネットが不可分なもので、オープンとプライベートが「棲み分け」から「融合」、そして「革新」が始まる事を感じさせる。

大きな可能性と漠然とした不安。どちらを感じるかはその人次第だが、不安より可能性に賭ける。
そういう人が多ければ、この世の中はもっと楽しく面白いものになるに違いない。

ネットの広大な海で、批判もどんどんくるオープンな場で、自分という「個」を保ったまま発言し、自己主張する。まだ人類の大多数がそれをしていない。そういう今、それをやってみて、自分の肌でどうすれば良いかを試行錯誤した上で、自分が変化する。そうした人たちだけが、近い将来に何か大きな果実をもらうことになるだろう。いまはその果実が、どんなものかを想像しても分からない。でも、大切なことは次の一歩を踏み出すとだ。