私塾のすすめ(1)

私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書)

私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる (ちくま新書)

金曜日の仕事帰りに新宿の紀伊国屋で購入。帰宅後、GWに溜まった洗濯物をダイビング用の大型リュックに詰め込んで、近所のコインランドリーまでサイクリング。着くと、洗剤を忘れてしまったことに気づき、家に戻り、再びコインランドリーに。
ipodからはテンションを上げるTOP GUNのテーマが流れてる。
リュックから取り出した服たちを洗濯機に詰め込み、スタートボタンを押してからは、コインランドリーのしょぼくれたソファーで読書開始。洗濯終了までの30分が勝負だなと思っていたので、ささっと読んで、自分の生活に生かしてみる部分をほぼ日手帳に書き込むぞ、なんて気楽に考えてた。
でも、目次を眺めただけで、パラパラと、ささっと読む気にもなれず、ボールペンを片手にしながらの読書を続けた。すぐに時間は過ぎ、50ページそこらで時間切れとなってしまった。
そんな中、ここまでで、僕のアンテナに強く反応した部分はここでした。

斉藤 多読と精読を両輪として回したときに、具合がいいのではないでしょうか。
梅田 その両輪を回していくときに、多読の方は、自分にとっては自分に合ったものを探すプロセス、自分の個性や行き場所を発見するプロセスだったなと思うんですね。その結果として見つかった、ぐっと深くいけるものというのは、相当長い時間、付き合わなきゃいけないものですし。(中略)
斉藤 やはり、大量のものを読んでいるうちに、セレクトするセンスも、同時に磨かれると思います。最初のうちは、自分に合っていないものにもはまりこんじゃう可能性があるけれど、だんだんやっているうちに、「何となくあこがれるけれど、自分には身につけられないもの」というものもわかってきますし。
 このセレクトセンスを磨くこと自体が、ここの影響よりも、もっと本質的なものかもしれません。総合的な直感力で、本、人物、情報をセレクトしていくことで、人生を有益にする判断力が鍛えられる。恋愛の経験値にも似た、「縁を的確に感じる力」ですね。だんだん己の器や傾向がわかってきて、ハズすことが少なくなる。
私塾のすすめ p32ページより引用)

多読が自分の個性や行き場所を発見するプロセスだったな、という梅田さんの発言に、なるほどなと思った。
以前、自分と異なる部分や違和感を感じる部分を一つずつピックアップしていき、自分という輪郭を見出す手法を、梅田さんから学んだ。これをしていくと、自分はこれは好きだな、これはあんまり興味がないな、ということの積み重ねとして、自分の力が出せる方向性みたいなものを再発見したこともある。
一方で、大量の情報に接する中からセレクトセンスを磨くという斉藤さんの発言もこれは昔から言われていることだし、僕も経験的に感じることでもある。そのインプットする「大量の情報」が目の前のコンピュータからゲットできるわけで、良い時代だなあとつくづく思います。

さて、僕は上に引用したような部分にひっかかるので、自分は自分が何者なのか?という事にとても興味があるフェーズに未だにとどまっているのかな?と改めて思います。また、あらゆる情報に対して自分が反応するわけですが、そのリアクションをする自分と対話し、驚きや発見を得るのが結構楽しみだったりします。

梅田さんの「Web進化論」を初めとする著作と、斉藤さんの「座右のゲーテ」が大好きな僕は、この2人の対談を今のところ、とても楽しめています。これからも、本で語られているお二人の言葉にわくわくしますし、自分がどういう反応をするのかにも楽しみです。