カラッとした天気は悪い天気があるからこそありがたい

ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる (ちくま新書)
梅田望夫さんを迎えてのLingrイベントでは、「カラッとしたネット空間を志向し、お互いを褒めるから始めましょう」という一応の結末を迎えました。では、カラッとしたものを日本のネット空間に欲しがる理由はなんだろう?

それを、板倉雄一郎さんのblogのキャンプにおける天気の内容から連想させられました。

レジャーとしてキャンプに出かける場合、「晴れたらいいなぁ」と思いますよね。というより、晴れてなくちゃキャンプをキャンセルしますよね。
僕の過去もそうでした。けれど、それって、本当のキャンプじゃない。そう思うようになりました。雨があり、風があり、暑さがあり、寒さがあり、燃料などの資源の乏しさを感じ、夜の不安を感じ、つまるところ都合の悪い自然をも含めて、自然なのだと、このキャンプ生活は、教えてくれました。そして、都合の悪い天候があるからこそ、カラッと晴れた日のありがたさをしみじみと感じることができるのだ、なんて至極当たり前のことも再認識させてくれました。いずれにしても、自然があってこそ、私達は生きているのだと、つくづく思い知らされた次第です。
ITAKURASTYLE 「キャンプ生活一ヶ月経過」
http://www.yuichiro-itakura.com/archives/2007/05/15-0815.html

カラッとしたものを求めるのは、日本のネット空間がじめじめしてるからだね。天気予報で毎日が曇りと雨。そんなときは晴れてくれ〜って願うように、日本のネット空間にもカラッとしたものを求めるわけです。じめじめが存在しなければ、カラッとの存在は認識できない。そういう意味では、それらのバランスが保たれていないのが日本のネット空間ではないかと僕は思います。

天気とネットの違いは、天気は自分たちの力の及ばない領域なのに対して、ネットは僕らが志向すれば変えられる領域だということ。

昨日のプロフェッショナルに出演されていた藤澤和雄さんの言う「全ての馬には才能がある」をもじって、「全ての人には才能がある」を信じて行きたいものです。